「シュタイナー教育」をご存知でしょうか。教育に限らず、農業や医療の場でも、「シュタイナー」の名前を聞いたことのある方はいらっしゃるかも知れません。
ドイツやオーストリアで活動した思想家ルドルフ・シュタイナーは、教育の分野で最も知られていますが、実は、農業、医療、音楽、美術など、多岐の分野にも影響を与えています。
僕は大学時代に農業と教育を学んでいたとき、シュタイナー思想と出会いましたが、何となく魅力的な内容であることを知っただけでした。
ところが昨年、シュタイナーに関する研究を進めている方々のWEB制作に携わり、やはり興味深い内容だったので、ここにレポートを残しておきたいと思いました。
ただし、以下の文章は、数日間話を聞いただけの私的な理解です。シュタイナーについて専門的に勉強して得た知識ではないことを、あらかじめ断っておきます。
「答え」ではなく、「問い」を求めること
昔見たテレビのCMだったかと思います。
日本の小学校では、
1 + 2 = □
3 + 4 = □
と、一つの答えを教えるのに対し、とある海外の小学校では、
□ + □ = 5
□ + □ = 7
と、答えが複数あっても良いのです―。
今思い返せば多分これは、シュタイナー思想の教育機関の宣伝だったのでしょう。
この考え方は、僕の主催するプログラミング教室でも引き継ぎたいと考えていて、「正しい答え」を導くことより、数ある選択の中から「自分で導いた答え」を大切にしてほしいと思っています。
だから僕のプログラミング教室では、
- 観察したり、調べたりすること
- なるべく自分で絵を描くこと
- 解答例を示さないこと
を、指導の三本柱としています。
発明やデザインにおいて最も肝心な最初の一歩は、自ら課題を見つけることです。探求心さえ芽生えれば、解決方法は自ずと身に着いていくはずです。
依存しない力・循環
「答え」ではなく、「問い」を求めることは、もっと深い意味では、答えを他人や社会などに依存するのではなく、自分の内部から探り出すことになります。
ところで、シュタイナーの思想は、神秘に触れる部分があり、信望者の中には「スピリチュアル」や「オカルト」といったいわゆる眉唾物を好む人達も多くいます。
僕自身は、非科学的で曖昧なものには少し距離を置く性格ですが、宗教や神秘思想から学べるものもたくさんあると思っています。少なくとも、考え方ひとつで物の見方が変わり、道が開けるということは大いに有り得るでしょう。
今の世の中を批判的に言うと、誰もが短絡的に「結果」を求めがちで、商品やサービスを買うことで、欲求が満たされたような錯覚をするのです。そのようにして、自分の外部から何かを補充しても、それは一時しのぎにしかなりません。
しかし自分の内部から答えを探り出す手法は、熟練すれば、外部との依存関係を断ち切って、いつでも答えを導き出すことができます。
なるほど、シュタイナー教育とはまた別の場所で、「万物は全て循環している」という話を聞いたことがありますが、逆に循環していないということは、持続可能性に欠陥がある訳ですよね。
今述べたことは、あくまで精神論ですが、シュタイナーは農業や医療にも精通し、食糧やエネルギーまでも、外部に依存しないでかつ、サステナブル(sustainable:持続可能)に供給していく術を説いています。
個性とは?
話が飛躍しますが、今の時代を生き抜くためには、何か得意なことを一つ身に着けるべきだとか、個性が大事だとか叫ばれています。シュタイナー教育でもまた、「個性」というものが特別な位置付けをされているそうです。
そもそもシュタイナー教育では教師の役割を、全ての子どもは皆、それぞれ固有の目標を持って生まれてきていて、教師はその目標を達成するためのサポートをすること、としています。
現代日本の教育は、子どもをあたかも空っぽの器とみなして、知識を蓄積していくような手法に頼っていますが、シュタイナー教育では、必要な能力は最初から授かって生まれてきているという前提に立って、教師の役割としてサポート以上のことはできないと考えているのです。
言い換えると、今の教育は「個性」を育むというよりも、社会であらかじめ設定された職業に対する「適性」を与えようとしているに過ぎない、ということです。
将来の夢 – 本当の自由
今の話は、多少難しく聞こえるかも知れませんが、「好きなことを仕事をしたい」と考えている子供にとって、とても重要なことかと思います。
冒頭の話のように、一つの答えを導く教育は、課題解決の能力を備えることができても、そもそも何が課題なのかを見つける能力が身に着きません。そして何より、社会であらかじめ設定された職業が決まっていたら、社会に独創的で新しいアイデアは生まれにくいでしょう。
子どもたちには夢を持ってほしいと思います。
しかしその夢は、大人たちが選択肢を具体的に決めておいて、その中から選ばせるようなものであってはいけないのでしょう。