農夫の鋤、大工の鉋に続くもの

「星の王子さま」という本をご存知ですか?

著者サンテグジュペリが自ら描いた可愛らしい挿絵から、一見、子供向けの絵本に見えますが、その内容は、子供の頃の気持ちを取り戻すための大人のための絵本です。

書き出しに、以下のような内容が書かれています。

素敵な友達のことを話したいとき、子供は、その子がどんな遊びが好きかとか、どんな声をしているかとか、そういうことを気にするのに、大人は、

「その子は何歳?」

「兄弟は何人?」

「身長はどのくらい?」

とか、どうして数字を聞くのでしょうか?

ある子供が、屋敷に植えられている花の美しさに感動して、この家に住んでいるのはどんな人かと、想いをふくらましていても、大人を感動させるときは、

「10億円の家が建っていた!」

とか、数字で話した方が、効果的です。

いかがでしょうか?読んでみたいと思いませんか?

少し心の渇きを感じるとき、手に取って読んでみると、とても心が潤いますよ。

 

コンピュータ = 数字 という古い神話

冒頭の話は、「数字」にまつわる滑稽な話であり、デジタル表現に対する批判と受け止められますが、歴史的には、コンピュータが普及する以前に書かれた本の中身です。

つまり、「数字」にとらわれているのは昔から人間であって、コンピュータではありません。

実際に私たちがスマートフォンやパソコンを操作して、たくさんの友人とコミュニケーションを楽しんだり、画像や音楽を見たり、デバイスひとつで一日過ごせてしまうような環境の中で、「コンピュータは数値しか理解できない」と、本当にそう感じますか?

 

鋤と鉋に続くもの

「星の王子さま」の著者サンテグジュペリは、飛行機乗りでした。

飛行機が発明された初頭の時代に、命を賭して、郵便物を届ける事業に携わっていたのです。

その郵便事業は、「空を利用することで速力を得ても、夜間に飛行機が飛べないことで船の速度に劣る」というビジネス課題に立ち向かうために、危険な「夜間郵便飛行」の事業を始めたのです。

「星の王子さま」だけを読んだ人にとっては、意外に思われることがしばしばありますが、サンテグジュペリは、危険な「夜間郵便飛行」や、延いては科学や文明について、肯定的な立場をとっています。

それは、「夜間飛行」や「人間の大地」と言った、別の著書を読むとよく分かります。

サンテグジュペリは、自分にとって飛行機を、「農夫の鋤、あるいは大工の鉋」と言っていて、自分が「大地から物を学ぶための道具」という風な捉え方をしています。

「人間は大地を耕さなければならない、大地から学ぶ謙虚な姿勢を身に着けるべきだ」

というようなことを述べています。

そうです。学ぶべき目的は、技術そのものではありません。

絵描きは、「色」を学ぶべきでしょう。それはモニター上で表された光の合成による色表現ではなくて、刻々と移り変わる空の色相や、自然の色彩に、目を向けることです。

音楽家は、「音」を学ぶべきでしょう。それはドレミの音階を覚えるという意味ではなく、枯葉を踏みしめる心地よさや、秋の虫の声に耳を澄ますことです。

プログラマーの卵は「デジタル表現」を学ぶべきでしょう。それは、既存のゲームを遊び倒すことではなくて、自然の中に表現したい「カタチ」を見い出すことです。

私は納得しました。鋤(農)と鉋(工)に続くもの、それは「プログラミング」だと。