世界で最初のプログラマー エイダ・ラブレス

階差機関

2018年は僕にとってプログラミング教室を開講した記念すべき年となりました。

まだ若干名ですが、生徒さん、保護者の方とのお付き合いが始まり、もしかしたらこのブログも読んでくださっているかも知れません。

「2020年の小学校段階におけるプログラミング教育必修化」という文科省の方針発表をきっかけにして、書店には子供向けプログラミングの専門コーナーができ、街のあちこちでここぞとばかりにプログラミング教室が開講し始めています。

変化の流れがあるとするならば、その流れに身を委ねつつも、その流れが一体どこへ向かっているのか、行く先を俯瞰する姿勢がときに大事かなと思います。

今回の執筆は、読者の方にとって役に立つかどうかは分かりませんが、コンピューターの歴史に登場する人物の話をしようかと思います。

「世界で最初のプログラマー」と言われるエイダ・ラブレスについてです。

エイダ・ラブレス

エイダ・ラブレス肖像
エイダ・ラブレス肖像

ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace, 1815年12月10日 – 1852年11月27日)は、19世紀のイギリスの貴族の女性。

ミドルネームのエイダで知られる。

結婚前の姓はバイロン。

詩人第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの一人娘であり、数学を愛好した。

主にチャールズ・バベッジの考案した初期の汎用計算機である解析機関(アナリティクス・エンジン)についての著作で知られている。

Wikipediaで調べるとこのように書かれていますが、エイダ・ラブレスは、世界で最初のコンピュータ・プログラムのコーディングに携わった女性として、アメリカ・イギリスではよく知られた人物だそうです。

彼女にちなんで名付けられたプログラミング言語”Ada”は、民間には普及していないものの、兵器や航空機の制御ソフトウェアに利用されることがあるそうです。

IT企業として大手であるマイクロソフトやグーグルも、エイダに対して特別な愛情や敬意を抱いているためか、マイクロソフトでは認証用のホログラム・ステッカーに彼女の肖像をデザインに取り入れており、グーグルでは彼女の誕生日である12月10日には、検索エンジンのロゴを彼女と数種類のプログラミング言語に纏わるデザインに変更したりするようです。

史実として本当に、エイダがコンピューター・プログラムの発展に大きく貢献したのかどうかは、怪しいところがあるそうですが、少なくとも200年近くも前にコンピューター・プログラムが存在していて、しかも女性が関わっていたなんて、驚きですよよね。

詩人の父、数学者の母

エイダは、詩人の父と数学者の母という、対照的な両親の元に生まれたというのは、とても興味深いことですね。

詩人の父親とは、母親によって生後1か月で引き離され、エイダは母親の元で育ったそうですが、その容貌は父親に似た美しさだったとされています。

母親はエイダが破天荒な父親のようになるまいとして、エイダに英才教育を受けさせ、その影響でエイダは数学に強い興味を示したそうです。

一方で、エイダは繊細な神経を持ち、目標が達成できないと強いストレスによるノイローゼ症状を呈することがあったそうです。

エイダは36歳の若さで亡くなっていますが、多くの偉人がそうであったように、一般人には理解しがたい天才故の苦しみが、きっとあったのではないかと想像せざるを得ません。

階差機関(ディファレンス・エンジン)

階差機関(ディファレンス・エンジン)
階差機関(ディファレンス・エンジン)

エイダの最初の人生の転機は、「階差機関(ディファレンス・エンジン)」と呼ばれる現代の電卓のような機械との出会いでした。

電卓と言っても、足し算・引き算のような単純な計算ではなく、対数・三角関数と呼ばれるより高度な数学を用いるものです。

それは後にエイダの師となるチャールズ・バベッジの発明品でした。

「階差機関(ディファレンス・エンジン)」が一体どのようなものだったのか、一般的に説明するのは難しいですが、それはクランクを回して動くものだったそうですから、何とも物々しいメカニックをだったのでしょうね。

当時にしてみればネジ1本とってみても、今でこそ規格の通り形状の揃ったものが簡単に手に入りますが、制作には大変な労力が必要だったのだと思います。

解析機関(アナリティカル・エンジン)

解析機関(アナリティカル・エンジン)
解析機関(アナリティカル・エンジン)

エイダは、師のバベッジに慕って、「解析機関(アナリティカル・エンジン)」と呼ばれる現代のコンピューターの原型のような機械の発明において、プログラムのコードを作る手伝いをしたそうです。

「解析機関(アナリティカル・エンジン)」もまた説明が困難ですが、それは蒸気機関で動く織り機のような形状をしていて、「パンチカード」と呼ばれる穴の空いたカードによって「0」と「1」を識別し、ブログラムとデータの入力を担っていました。

ソロバンのような道具とは明らかに異なり、プログラミングの基本である「条件分岐」や「繰り返し」の機能を実装していたそうです。

エイダが師のバベッジよりも優れた先見性を有していたとされるのは、これらの発明の用途としてその先に、計算だけでなく、映像や音楽も表現できるだろうという予見をしていたことでした。

エイダがバベッジ以上に「世界で最初のプログラマー」と言われることがあるのは、そのためなのでしょう。

結局この機械は、バベッジ、エイダが生涯をかけてしても未完成で終わってしまいましたし、後世に発明の成果が引き継がれることも無かったようです。

しかしその理論は、後世にコンピューターを開発したプログラマー達を驚かせる内容だったとのことです。

絵本「世界でさいしょのプログラマー - エイダ・ラブレスのものがたり」
絵本「世界でさいしょのプログラマー – エイダ・ラブレスのものがたり」

この話は、「世界でさいしょのプログラマー – エイダ・ラブレスのものがたり」という子供向けの絵本に詳しく書かれています。

僕はこの絵本で、エイダとバベッジとその発明について知ったのですが、生涯をかけてしても未完成で終わってしまったという文章を読んで、少しだけ涙してしまいました。

時代を先駆けてきた歴史的な人物たちは、だいたいにおいて、そのときの社会には考えを受け入れられないのですね。

彼女たちが今の社会を見たら、どう思うかを想像すると、何とも言えない気持ちが込み上げてきたのでした。

僕たちが生きている社会は想像もつかない変貌を遂げているようにも見え、今の世の中を第三次・第四次産業革命だと位置づける学者もいますが、情報技術の構想そのものを予見していた先人は、確かに存在していたのですね。

写真: Wikipedia

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