「霧の中のハリネズミ(別名: 霧につつまれたハリネズミ)」という絵本をご存知でしょうか。ロシアのノスタルジア溢れる名作ですが、この絵本の元は、映像作家ユーリ・ノルシュテインの制作した短編アニメーションでした。あの宮崎駿も影響を受けたと言われている作品です。
セルアニメ以前の技法 – 緻密に描き込まれた切り絵を、恐らくレイヤーに見立てた磨りガラス上で動かして、1コマ1コマ撮影するような原始的な技法で描いているのだと思いますが、実写の火や水を背景に透かして見せているようなシーンもあり、一体どのようにして制作しているのかは、正直、良く分かりません。けれど、どのシーンを切り出して見ても、本当に美しい、言わば映像詩の世界です。
霧の中のハリネズミ
夕暮れに、ハリネズミがこぐまの所へ出かける途中、美しい白馬を見つけて、霧の中へ入っていき、幻想的な世界で様々な者達 – フクロウ、コウモリ、ホタル、楢の大木など – に遭遇するお話です。
どこか暗く、淋しいけれど、静寂な美しさを感じる作品です。
話の話
童話的な「霧の中のハリネズミ」に比べると、もっと暗く、戦争の悲惨さなども含めて描かれていて、物語もより深く謎めいている作品です。
映画の内容と「話の話(英名: Tale of tales)」という題名から想像するところ、物語の中の登場人物が、逆に、現実の人間世界に憧れを抱き、覗きにやってきた、というような設定になっているように思えます。
童話の世界か、森の奥か、彼の故郷は分かりませんが、二足歩行で歩く狼の子が、好奇心に駆られて、ある民家から詩人の詩を持ち去って行きます。途中、その詩が思わぬ物に姿を変えるシーンが印象的です。
感動はどこから生まれるのか
僕もデザインやプログラミングを通して、こんな感動を生み出せたら、どんなに喜ばしいことかと思います。ところが、いやいやノルシュテインの作品はアートだから、デザインやプログラミングとは異なるという意見もあるかも知れません。
アートとデザインの違いを述べると、デザインというのは利用者ありきであって、利用者の目的に合わせて物を作っていく行為ですが、アートというのはもっと自由な自己表現です。ただし、両者は相反する関係ではありません。アートの中にデザインがある場合もあるし、その逆もあります。
特に、優れたアートと優れたデザインは、近しい関係にあると思います。突飛であるだけのものは、「アートだね」という一言によって、褒められたようで、どこか距離を置かれてしまうものです。人が作品について深く感動するためには、どこか自分をその作品と重ねられるようなデザインが必要不可欠です。
ノルシュテインの作品について述べると、明確なメッセージがあるわけではないけれど、彼がどんなものを愛しく感じ、作品を描いているかということは、誰にとっても(それこそ国境を越えて)分かり易いと思います。きっとそれは、言葉が生まれる以前の世界で成し遂げられた見事なデザインなのでしょうね。